there is a tide

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無造作に置いていた箱などを動かし、
家具を置くスペースを作ろうとしていたときのこと。

不意に、左ふくらはぎに強くぶつかってくるものがあり、
がちゃん!!!と大きな音。
箱と一緒に場所を変えたはずの姿見が、
倒れて大破したのでした。

細かいミラーの破片が、引越し荷物の間に散らばり、
目を覆いたくなるような、頭が真っ白になるような。

事始めにハプニングはつきものなのでしょうが、
この姿見破壊事件は衝撃でした。
かすり傷程度で済み、
その後、家具を運んできてくれた業者さんが
壊れた姿見の外枠だけでも持っていってくださったのが
大きな幸いでしたが。

いくつかのハプニングに手間取られ、
エネルギーをずいぶんと費やしたものでしたが、
大方片付き、椅子に座ってぼーっとしていたら、
ふと、なにかがすーっとハラに落ちていったように感じました。
前後がなめらかにつながった、というような、
よくわからないけれど不思議な感覚。

つながった、という感覚に安堵を覚えました。
と同時に、先日読んだばかりの"海からの贈りもの"の一節を
思い出したのでした。

・・・この振り子がふたつの反対の極のあいだをゆっくりと往復しているというイメージは、
ずべての人間関係の手がかりになるものではないだろうか。

ここには、すべての人間の繋がりにおける翼ある生命のこと、それが海のように永遠に
満ちたり引いたりすること、絶えず繋がったり切れたりするものであることを理解し、
受け入れるための暗示が隠されているのではないだろうか。

「変わらずにあるのは、心の生活だけである」と、サン・テグジュペリは言っている。
「精神は、全体的な明視と絶対的な暗闇のあいだを往復する。・・・たとえばここに、
自分の農場を愛する男がいる。しかし彼には、その農場が、たがいになんの繋がりもない
たくさんの物の集まりにしか思えない瞬間がある。また妻を愛している男も、その愛が
重荷としか思えない瞬間もあるだろう。音楽を愛する男の心に、音楽が届かないことも
あるだろう。」

わたしたちの感情や関係性の「真実の生活」もまた、やはり断続的なものなのだ。
わたしたちが誰かを愛していたとしても、同じ深さで、いつも愛しているわけではない。
そんなことは不可能であり、それができるふりをするのは偽りでしかない。

しかし、それにもかかわらず、わたしたちはそういうふうに愛されることを望み、
愛情や人間関係の満ち潮、引き潮に対してさほど自信がない。
潮が満ちてくるとそれに飛びつき、潮が引きはじめると引き止め、
二度と潮が満ちてこないのではないかと脅えるのである。

わたしたちは、愛や人間の繋がりが永遠に持続することを願うが、生活であれ、
愛情であれ、それが続くということは、成長や流動性や自由であることの中にしか
求めることはできない。

   ーGIFT FROM THE SEA by Anne Morrow Lindbergh





by raisinsand | 2018-05-04 08:00 | Comments(0)