meditation

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長いこと、よくわからないけれど近づいていきたいもの がありました。

どのような状態で "それ" が実現されるのか、

読み物や映画などで情報を得てきたのだけれど、

例えばセミナーに参加して習得するというのは、

どこかしっくりきませんでした。

だから、"それ" を長いこと意識してきただけです。



なぜ瞑想を習おうとしなかったかというと、

それは究極の個人的体験のように思えていたからです。

人にはそれぞれの来歴があります。

幸福や愛、平和というイメージすら、

来歴や価値観に応じて、多様なものではないでしょうか。

でも、互いに共有していると信じて疑わない観念ですよね。

瞑想について、

もしかしたら、私の中に自然発生する時が来るのでは、

"いわゆる瞑想"が身につくときが来るのでは、

と密かに待ち続けていました。

それはなまけものの発想かもしれません。

でもそうしたら、瞑想は、自分が本当に困ってしまったときにやってきました。

今では瞑想が、光の供給源と思えるようになりました。

光は、暗いイメージを手放すのに役立つエネルギーです。

手放した結果として、心がからっと軽くなり、

今日一日の一歩を踏み出せる自信が湧いてくるように思います。

あまりこのような自己流を話すのもどうかとも思いますが、

この私のささやかな希望の芽を分かち合いたいと思いまして。


芽吹きの春は、どんどん進行しているようですが、

今日は小休止。風が冷たく、ひと雨来そうです。



by raisinsand | 2018-04-05 10:26 | Comments(0)