花と月。

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花オクラをいただきました。
断面が星型にも見えるあの野菜とは別の品種で、
花を楽しむために育てられているのだとか。
大輪で、淡く透き通るようなクリーム色。愛でても美しいお花です。

食用にしてしまうのが勿体ない気もしましたが、
花びらをそっとはずし、そのまま味わいました。
爽やかな甘みと、あのオクラのほのかな青さ。

今夜は野菜のオクラのほうを、春巻きの具材にしてみます。
旬の野菜を、桜エビやチーズなどと一緒に巻き込む変わり春巻きは、
いつ頃からか定番のおかずになりました。
オクラバージョンは初めてです。

たしか一昨日は満月、昨夜は十六夜だったと思いますが、
月がそれは明るく感じられました。
不意に射られるような気配を感じて振り向くと、
優しくやわらかい月の光、というものはなく、
強い光が空からすべてを照らしているようで、
ぞくっとしてしまうほどでした。


(旧 水無月十九日己未)

# by raisinsand | 2017-08-10 15:53 | Comments(1)

緑陰の珈琲時間。

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木立にすっぽりと包まれた敷地に立つ母屋で、
ねじさんの珈琲と、自家製羊羹をいただきました。

珈琲に浮かぶ氷の塊は、
遠い海の氷山のようにも水晶の欠片のようにも見え、
まずは目に、涼をもたらしてくれました。
とろりと濃厚な液体を少し口に含むと、心地よい刺激が喉元を通過していきました。
ひと口ごとに、それまで身につきまとっていた暑さはほどけてゆき、
隣で同じものを飲んでいた友人と、
なんだかお酒を飲んでいるみたいね、という話になりました。

愛おしむように、
最後のひとしずくまで飲みきりました。


(旧 水無月十五日乙丑)



# by raisinsand | 2017-08-06 08:40 | Comments(0)

真夏の薔薇。

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こんなに暑いのに、一輪咲きました。
お庭で周りをいろんな植物に囲まれながら、
栄養は、たまに撒かれるお米のとぎ汁やお茶殻のみ。
そんな真夏の君は、いつもより小柄でスリムです。

毎日夜明けの空が白んでくる頃、
1羽の小鳥が近くにやってきて、
澄んだ声でおしゃべりみたいに聴かせてくれて、
そして行ってしまうのだけれど。
その声の主、小鳥の名は、
いつまでたっても分からぬままです。

(旧 水無月十三日癸亥)

# by raisinsand | 2017-08-04 16:36 | Comments(0)

町の小さな図書館の効用。



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母は毎週地元で開かれる朝市に出かける前、
必ずいつもの農家さんに電話をかけ、野菜の予約を入れている。
この前の土曜日は西瓜が穫れるようになったということで、
母は予約の電話を終えると、嬉しそうに「今日は"ハメハメハ"があるわよ」と言った。
「カメハメハでしょ?」と返すと、
「ううん。ハメハメハって武藤さん言ってたわよ」と母は譲らない。
私は大笑いして母が朝市に出かけていくのを見送った。

車のトランクに夏野菜と西瓜を満載して帰ってきた母は、
真面目な顔をして「やっぱり"カメハメ"だったわ」と言う。
私は再び、お腹をかかえて笑うことになった。
「ちがうよ、武藤さんは"カメハメハ"って言ったはずだよ。
カメハメハってハワイに実在した王様の名前だよ」と言っても、
母にはぴんときていないようだった。
仕方なしに、居間にある父のノートパソコンで西瓜の品種を検索し、
カメハメハなる西瓜の種が販売されているサイトを母に見せた。
母は首をすくめながらニコッと笑い、その日のカレンダーに「清水朝市、カメハメハ」と記した。
母はいつも、カレンダーにその日その日のイベントを、
その日の気温や家庭菜園から収穫されたミニトマトの数などと共に記録している。

*:*:*:*:*:*:*:*:*:*

来月、もう何年ぶりであろうという秋田を訪ねることになりました。
マタギの里で知られる山深い地に、阿仁という小さな町があります。
その町をはずれて少し行ったところに荒瀬という集落があって、
そこに母の実家がありました。
その家から歩いて10分とかからないところに先祖代々のお墓があり、
墓地は小高い丘のような場所で、森吉山を望むことができます。
昨冬、母方のご先祖様の眠るお墓を新しくして、
また、来月は父が秋田県で開催されるねんりんピックというイベントに参加するため、
秋田に出向くというので、では今年は秋田だね、久しぶりにお墓参りしよう、ということになったのです。

父がねんりんピック参加者ご一行として別行動をしている間、
母と私と、静岡から車で東北を目指すことにしました。
遠いことだし無理はいけないという口実で、岩手で一泊、青森で一泊(遠回り!?)宿をとり、
その後父とは北秋田市の鷹ノ巣という町で合流して一路母の実家を目指し、秋田で一泊、という計画。
能代での大会を終えた父と鷹ノ巣で合流することにしたのは、ちょっとした私の都合により、です。
それは数年前、ある雑誌で伊勢堂岱遺跡を知り、以来気になっていて、
この機に伊勢堂岱遺跡に立ち寄ってみたい、と持ちかけたところ、二人とも「いいよ」と二つ返事でした。

伊勢堂岱遺跡は縄文時代の遺跡で、
鷹ノ巣にできた空港へのアクセス道路をつくろうとした時、発見されたそうです。
発掘の際、4つのストーンサークルや日時計組石などが出てきて、遺跡保存への近隣住民の機運も高まり、
アクセス道路は結局迂回されることになったのだとか。
縄文時代の建築・構造物や祭祀には以前から興味がある上、
母が子どもだった頃、住んでいた近くで遺跡の発掘があり、手伝ったことがあると聞いていたので、
その繋がりも漠然と感じたのでした。

また、伊勢堂岱遺跡という呼び名の由来も、今となっては気になります。
「伊勢の堂岱」ってなに?どうして?というわけです。
そもそも、伊勢志摩の伊勢という地名も由来があるわけでしょう?
いつからその地は伊勢と呼ばれるようになったの?と疑問が湧いてきました。
そして、あるサイトに、伊勢の地名の由来についての記事を見つけ、
さっと目を通したりもしたのですが、
この問いについて、そんなに急いで結論を得たいと思っているわけでもありません。
神宮の伊勢も、遙か縄文の伊勢堂岱遺跡も、本腰を入れてその歴史を探りたいのなら、
アースシーを生み出したル・グウィンが言うように、
"想像力の一つの形態である記憶の中に存在する"過去の出来事として、
みずから物語っていくことをして、何が起こるかをみきわめていく、
という手続きを踏まなければならないことでしょう。
それすら、歴史家や研究者にお任せするしか私にすべはないのですが。
直感とフィーリングで、気の赴くままに訪ねたい地を訪ねることができるだけで、私のような者には十分です。

先日初めて伊勢を訪ね、
神宮という聖域に漂っていた一種独特な、爽やかとも言える神々しさと、鎮守の森の揺るぎない生命感に、
忘れがたいものを感じて帰ってきたのですが、
その後、私の住む町の小さな図書館で、一冊の興味深い本を手にすることになりました。

その図書館は、港区立図書館とか目黒区立図書館などの大図書館に馴染んでいた身にとっては、
あまりに小規模で蔵書数も少なく、物足りない、つまらない図書館、と思っていました。
それがある日を境に変わりました。陽気のいい日でした。
町の図書館の開け放たれた窓の外からは、美しい小鳥のさえずりが絶え間なく聞こえてきました。
さえずりが心地よく耳に響き、とてもリラックスした気分で、ただなんとなく書架から書架へ、
背表紙を眺めて過ごしていたら、その中に、興味をそそる本が幾つも隠されていたことに気がついたのです。
以来、その狭い図書館内を逍遙するかの如く(笑)、囚われない心持で(笑)本探しをするようになったのですが、
そうやって最近手にした本は、そのタイトルもずばり「伊勢神宮」。
新刊コーナーではない書架でひっそりと借り手を待ち続けていた、真新しいような無垢なような本でした。
近寄りがたい本であっても、まずはどんな人が書いていますか?と、巻尾の著者略歴に目を通して接近を試みます。そうですよね?笑
その本の著者である太田新之介さんは三島在住で、木造建築を主とする設計監理をなさっているということがわかりました。
これで第一関門はクリアしました。

その次、巻末にあった伊勢神宮内宮正殿の変遷を示すイラストに目が止りました。著者自身によるイラストでこれまた好印象。
さらにまえがき「はじめに・瓦解した伊勢神宮のイメージ」を読み始め、本を借りることにしました。
どうやら著者の太田さんは、木の建築のプロフェッショナルとして、神宮(殊に内宮正殿)を木の建築の原点と捉えながら、
神宮を巡る史学をたどっていく内に、思いも寄らない史実と出合ったようなのです。
この「伊勢神宮」の中核に、飛騨の口碑と言われる、岐阜県飛騨地方に2500年前から口伝で伝わってきた物語が据えられていて、
そこに私の関心が集中しました。

まだ読み始めたところです。
様々な仮説や推測憶測が飛び交う、古の日本のこと。
知れば知るほど、謎が深まっていくのかもしれませんね。
私には、その知の入り口すら、まだずっと先にあるように思えていますが。

(旧 水無月十一日辛酉 大雨時行)



# by raisinsand | 2017-08-02 15:30 | Comments(0)

from the ocean breeze, to the forest wind 3/3

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**26. July, 2017 (wed.)**

3日目にしてようやく、雲間から青空を望むことができました。
前日よりゆっくりとした朝のスタート。
志摩市磯部町にある伊雑宮へは、鳥羽から近鉄の各駅電車で向かいました。
20分強で上之郷に到着。ここも静かな無人駅でした。

なぜ伊雑宮(いざわのみや)に行こうと思ったのか。
それは先月読んだ鶴田真由さん著の「神社めぐりをしていたら
エルサレムに立っていた」に感化されてのことでした笑。
鶴田真由さんが数人のお仲間さんたちと「古事記」を紐解きながら
旅をしていたというのは、以前から何かで知っていたのですが、
それがやがて、ユダヤへと通じる超古代の世界にまで遡る、
壮大な旅へと進展していたのですね。

その「神社めぐりをしていたら・・・」に伊雑宮が登場します。
なにかと曰く付きの神社で、古くから伊雑宮の神職が、
「伊雑宮が日神(太陽神)を祀る社であり、
内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」と言われていたのだとか。
さらに色々な仮説もあるそうで、
伊雑宮(イザワの宮)は「イザヤの宮」ではないか。
その昔、イスラエル王国がシリアによって侵略されたとき、
遙々シルクロードを渡り、日本に辿り着いた人々がいたということを
意味しているのかもしれない、とも言われているそうなのです。

歴史についても土地についても、ほぼ何も知らないに等しい私ですが、
そんな超古代のルーツを、想像をふくらませながら遡り、
ワクワクせずにはいられなくなっていました。

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はたして、伊雑宮は上之郷駅からも徒歩ですぐの所にありました。
そして、伊雑宮の鳥居の向かいに対となって立っている石灯籠には、
それぞれ六芒星が彫られていました。
これですか!?と、背の高い石灯籠を拝見いたしました笑。

伊雑宮は"元伊勢"とよばれる特別な神社で、
今伊勢神宮にいる神様が伊勢に定住するまで、仮に住まわれていた場所です。
そして毎年6月、この伊雑宮の御神田では、
御田植式と呼ばれる古式ゆかしい御田植えの神事が執り行われているそうです。
この伊雑宮の森も田んぼも、格別の気持ちよさがありました。

後から友人にメールで教えられたのですが、
ちょうどここを訪れた日は、マヤの暦の元旦にあたる日でした。
マヤといえば確か、太陽神ではなかったでしょうか。
伊雑宮の日神にご挨拶できた日が、マヤの元旦だった。
そんなことを後から知り、さらに嬉しくなりました。
またこの前日は、つまりはマヤ暦の"時間をはずした日"。
その日に外宮内宮や月讀宮をお参りできたのも、
何かのご縁だったのかもしれません。

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伊雑宮をひと巡りして時計を見ると、まだ正午前。
ふと、帰る前にもう一度、外宮に寄ってみようという気になりました。

前日と変わらず、やはり外宮の参道から人出は少なめで、穏やかな雰囲気。
気持ち新たに御正宮へ。
ちょうどお昼の時間帯だったせいか、真っ白な絹の御幌の前に立ったのは、
私ひとりでした。
その御幌の向こうからさーっと風が立ち、
純白の美しい織物がひらひらと手前に舞い上がりました。
そのまま風は吹き止まず、御幌の扉の向こうがよく見え、
心もまた、その向こうに釘付けになりました。
爽やかさと共に胸が一杯になりながら、
改めましてのご挨拶をし、正宮を後にしたのでした。

この3日間、最後はふくらはぎに筋肉痛を覚えるほどよく歩き、
またよく汗もかいたなぁと思うのですが、
すっかりデトックスできたのか、気づけば身体の内からすっきり。
心も軽く、明るくなったような気がしました。

夏の伊勢、よかったです。好きになりました。
またいつか、どんな季節に参ることができるでしょう。

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# by raisinsand | 2017-07-28 08:57 | Comments(0)

from the ocean breeze, to the forest wind 2/3

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**25. July, 2017 (tue.)**

前日の疲れは温泉でさっぱりと洗い流すことができたので、
気持ちよく朝を迎えました。
早々に宿で朝食を済ませ、まずは鳥羽から伊勢市に引き返し、
外宮参りからスタート。

相変わらず曇り空でも、紫外線の容赦のなさと言ったら。
帽子をかぶり、さらに日傘。
そして全方位から迫りくる蒸し暑さ。
ところが参道を突き当たり、火除橋を渡って鳥居まで来ると、
その先に続くは緑濃い聖域。
帽子も日傘も必要がなくなりました。

参拝者もさほど多くはなく、ゆったりと落ち着いた空気。
手水舎に立ち寄り、清々とした気持ちで御正宮へ向かいました。
ところが、いざ正宮の純白の絹の御幌を前に立ってみると、
戸惑いというのか、ぎこちなさというべきか。
恥ずかしくも、そのような参拝となりました。
その後、多賀宮への階段を上りながら、ようやく落ち着きを回復し、
さらに土宮、風宮と参りました。
そうやって巡りながら、
もう一度、豊受大御神さまにご挨拶"し直したい"気持ちが、
ふっと湧いてくるのを感じたのですが、
それもしつこいかもしれないと、
そのまま外宮を後にし、内宮へと向かうことにしました。

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それにしても、この緑濃い聖域内を歩けば歩くほど、
そして歩みをゆっくりにすればするほど、
汗のことも忘れ、気持ちよくなっていきました。
若い木も、年老いてどっしりとした樹も、
大地からすっくと立ち居並び、
それらがすべて、地球が立てた生命の柱のように思われてきました。
原生林なのですものね。
太古から受け継がれたエネルギーが巡り巡るこの地なればこそ、
それを頭の先からも感じたくて、
自然と帽子も日傘も、バッグに仕舞い込んでしまったのかもしれません。

そして日本人にとっての伊勢ということが、
少しだけ、分かってきたような気がしました。

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外宮を出たところで、ちょうどバス停に内宮行きのバスが見え、
飛び乗るような感じで乗車させてもらいました。
宇治橋を渡る前に、五十鈴川沿いのカフェで休憩。
真夏の平日にも関わらず、内宮への参拝者の数は、
外宮への参拝者を遙かに上回るようでした。
人々はぞろぞろと宇治橋を渡り、神苑を抜け、
手水舎や五十鈴川の御手洗場で清め、
揃って御正宮へ、という感じでした。
ところがなぜだか、内宮のお参りのことは、
後から思い出そうにも、
夢のおぼろげな記憶のように断片的で、
なんとも不思議です。
最後に参集殿でお茶をいただいて、
池の鯉を見て、
それから木華開耶姫命をおまつりしている神社と、
その隣にある、木華開耶姫命の父であり、
山の守護神という大山祇神をおまつりしている神社もお参りして、
参拝を終えたと言うことはできるのですが。

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# by raisinsand | 2017-07-27 21:31 | Comments(0)

from the ocean breeze, to the forest wind 1/3

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話を聞かなければ、
そこへ行こうと思わなかったろうし、
行こうにも、
さらにいくつかの条件が重なった上で、
ようやく辿り着いた、というところだろう。


実のところ、
行きたいということすら言い出しにくく、
それとは裏腹に旅への想いに押されて計画を立て、
そっと家族に3日間ほど行ってきますと告げて、
一応の了解も得、伊勢を訪れたのでした。


**24. July. 2017 (mon.)**

三島から名古屋方面の新幹線に乗車。
朝の通勤客でほぼ満席でした。
富士山が望めるはずの車窓の向こうは、
黒く重たげな雲また雲。

豊橋で下車して名鉄に乗り換え、
変則ルート経由で遅めの名古屋モーニング。

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名古屋からは、JRの快速みえ号にて伊勢へ。
2両編成で、しかもディーゼル。
このローカルでノスタルジックな列車で、
間もなく大都市を抜け、四日市の工業地帯も過ぎて、
伊勢湾の西岸をぐんぐんと南下していきました。
お隣席のご婦人の居眠りに、
時折こちらまで引き込まれそうになるのだけれと、
ディーゼル列車の揺れと、車窓の向こうの流れゆく景色は、
退屈ではなく、心愉しませてくれるもの。

蒲の穂が幾筋も伸びている原っぱ。
すでに出穂した稲たちが風にそよぎ、海原のように見える田園風景。
濃灰や赤茶の瓦屋根の立派な家屋が軒を連ねる集落。


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気づけば津を過ぎ、松坂を過ぎ、伊勢市に着いていました。
ここで一旦下車。
外宮とは反対側の出口から通りに出て、
旅前の下調べで知ったカフェを目指しました。

曇り空なのに、
アスファルトからは、むっとするような湿度を含んだ照り返し。
歩きながら防ぎようもなく、汗が流れるばかり。
思ったよりもお店まで距離があったようで、
お昼をだいぶまわったことでもあったし、
こんなことなら、まっすぐ二見浦まで行けば良かったと、
後悔混じりに足取りを速め、ようやく辿り着いたカフェ。
涼しい店内のテーブルで、お冷やのグラスと、
自由にお代わりをと小さなデキャンタを受けとると、
後悔は来た甲斐に変わりました。
午後3時までオーダー可能というランチメニューから、
季節の香り御膳というのをお願いして、
その後身も心も満たされ、お店を後にしました。

そして向かうは二見浦。
友人から、外宮さんと内宮さんをお参りする前に、
二見浦に行くといいよと教えられていました。

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私も含め、二見浦駅で下車したのはごく数人。
駅から海辺の神社や夫婦岩へと続く道も、しんと静まりかえっているほど。
迷うような道ではなかったので、さぁて!と気を入れ直して歩きました。

旅館や土産物屋の古い建物、松の並木と通り過ぎ、
二見興玉神社の鳥居が見えたところで大粒の雨が落ちてきました。
鳥居をくぐり神社の手水舎まで歩いて、しばしの雨宿り。
見回すと、境内のあちこちに蛙さま。

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注連縄で結ばれた夫婦岩の向こう、海中のいずこかに神石が鎮座するとのこと。
小止みの中、見えないものを注視する気持ちでしばらく海を見つめ、
この日のお参りは終わりました。

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今回の旅は、伊勢神宮と、伊雑宮はまず訪ねたいと考えていたので、
その中間にあたりそうな鳥羽に2泊分の宿をとりました。
二見浦駅に戻ると、鳥羽方面の電車は出たばかり。

ホームでの1時間にわたる電車待ちも、夕風の涼やかさの中での休憩と思い直し、
読書でやり過ごせばあっという間でした。


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# by raisinsand | 2017-07-27 15:45 | Comments(0)

11. July. '17

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最近、ある発見をしました。
それは、部屋の置き時計のことなのですが。

針まで白い、ぽってりとしたシルエットの置き時計。
(当初はアイボリー。今は随分とクリームがかって...)
社会人になって久が原に住み始め、それからしばらくして、
たぶん今も続いている自由が丘の雑貨店で買い求めました。

以来、付き合いの長い置き時計なのですが、
長いこと、眠るときはその時計を遠ざけていました。
すなわち、その時計を寝室に置くことはなかったのですが、
それは時計の秒針が時を刻む音のせいでした。

これまで、時計の秒針が時を刻む音というのは、
睡眠を邪魔するものだ、と思っていました。
寝入ろうにも、時計の音を耳が拾ってしまうのです。
それが気になりだすと、なかなか眠れない・・・
夜中にどこか遠くでパトカーや救急車のサイレンが聞こえても、
ご近所さんの物音や話し声が聞こえても、
それは差して気になるものでもないのに・・・。

昼間は全く聞こえないのに、
夜、寝静まる頃、ようやく聞こえ始める時計の音。
微音のはずなのに、
その音が刻む規則的なリズムには、始まりも終わりもないような、
ひたひたと時に浸食されるような、
たまらない気持ちにさせる何かが"以前は"ありました。

それが今、自ら好んで聞き入ってしまう音となったのです。
時計から聞こえてくるのは、少し乾いていて、
くぐもっているような、懐かしくやさしい響き。
昼と夜と関係なく、のどかに、のんびりと、繰り返されるリズム。

寝室以外にこの時計を置く場所もなくなり、
だからと言って、これまで相棒のように一緒に暮らしてきた"時計"を、
電池を入れずにどこかに放置しておくことはしたくなかったので、
音のことを気にしながらも傍に置くようになって数ヶ月。

発見と言うにはささやか過ぎる、
時計の針の刻む音に関する、気づき。
それとも、音に対する単なる慣れとも言えそうな、
取るに足らない変化。

どちらでもよい微妙なことですが、
ひとつ、書かせていただきました。

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(旧 閏皐月十八日 己亥)
# by raisinsand | 2017-07-11 21:34 | Comments(0)

a process of sublimation

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『ほら、ちょうどカメラで色んなショットを撮るように、

あちこちで印象に残った光景のイメージを集めていけばいいんです。

そして自分の中から「ヴォイス」が聞こえてくるのを待ってから、

集めたイメージを繋いでいけば、

一つのストーリーができるんです。』


    ― 無意識との対話, 町田宗鳳


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(旧 閏皐月七日 戊子)
# by raisinsand | 2017-06-30 19:28 | Comments(0)

the sound of a murmur

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梅雨の雨音らしく、しとしと静かな雨垂れの音が、
窓にほんの隙間を作ったところから、よく部屋に入ってきて、
それが朝の目覚ましとなりました。

目は寝たまま、耳だけ先に起きて聴きいっていたら、
雨音が次第に細やかになっていき、
それが渓流のせせらぎの音に変わっていました。
すごいな、いい音だな、
と思っているうちに、そのまま二度寝を誘われて。
雨の朝は気をつけないと、つい眠りすぎてしまいます。

夏至も過ぎて、新月も過ぎました。


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(旧 閏皐月二日 癸未)
# by raisinsand | 2017-06-25 21:20 | Comments(0)