talking to myself... again...

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ドイツの作家ミヒャエル・エンデの話にこんなのがある。

遺跡発掘に向かう探検家の一行に雇われ、

荷物を背負って数日間ジャングルを進んでいた先住民たちが、

突然、座り込んで前進することを拒否。

そうして2日間、なだめても脅しても動かなかった先住民は、

また突然、目的地へ向かって歩き始めた。

後に、あの2日間のことを訊かれた先住民のひとりは

こう答えた。

「早く歩きすぎた。

だから、魂が追いついてくるまで

待たなければならなかったのだ」



"スラックとプラチャーの
 音もなく慈愛は世界に満ちて"
 with 辻信一


(旧 葉月三日戊子)
by raisinsand | 2016-09-03 08:22 | Comments(3)
Commented by 山翡翠 at 2016-09-05 22:56 x
早すぎるのも考えもの。
もう少しゆっくりしたいけど、周りがそれを許してくれませぬ。
好みとしては一歩一歩、足元を確かめながら進みたいけど、
周りからは「自分の影に追いつかれるな」と急かされます。
やれやれ・・・
Commented by raisinsand at 2016-09-07 08:38
山翡翠さん、
引用しきれなかったのを、ここに引用しますね。
-
「スピリチュアル」は訳しにくい。「精神的」も「霊的」もしっくりこない。
また日本には、この言葉が使いづらい特殊な事情もある。
スピリチュアルというだけで、引かれたり、不気味がられたり。もったいない話だ。

そもそも、スピリチュアルは、現代社会の物質主義・・・「物」だけがリアルで、
だから信じるに値するという見方、考え方・・・にそぐわない。
世界中の先進国、中でも現代日本社会は、この物質主義に見事に染め上げられているのだから。
商品としての「物」の生産や消費を最優先する社会では成長といえば、それは消費と経済の成長のこと。
宗教やスピリチュアリティは、道徳や倫理と共に地に堕ちている。
いや、物の世界である経済や科学技術こそが信仰の対象となり、一種の"宗教"へと成り上がったのだ。

そこにこそ、人類の生存の危機にまで追い込んだ根本的な原因があるとぼくには思える。
だから、ぼくたちが手がけてきた「アジアの叡智」映像シリーズでも、
こうした現代の"宗教"に対抗するための糧をアジアの精神文化の中に探し求めてきたのだった。

そして、今こうして第五作目の本作で、聞き手であるぼくはいきなり宗教について尋ねる。
スラックは、「宗教は助けにも、害にもなります」と答えた後で、こんなふうに説明する。
スピリチュアルであるために、宗教が常に必要なわけではないが、良き導きともなりうる。
それが本物の宗教というものだ、と。

つまり、肝心なのは宗教ではなく、「スピリチュアルであること」なのだ。仏教徒はブッダを、キリスト教徒はイエスを頼りに、
そして無宗教の人は「ただ、澄んだ平和な心で呼吸すればよい」とスラックは言う。

また映画の後半に登場するプラチャーは、「スピリチュアルな人間として」政治や経済を理解しなければならない
と説く。そうしなければ、環境問題の本質をつかむこともできない、と。

「木々は大きな音をたてて倒れるが、音もたてずに静かに育つ」
これは映像の中でスラックが紹介するタイの格言だ。今もあちこちで、やかましく木が倒れる一方で、
多くの木が静かに着実に育っている。大転換は不可避だ。だから、あせってはいけない、と。
Commented by 山翡翠 at 2016-09-22 22:02 x
なるほど、そういう趣旨の文だったんですね。
いわゆる「アジア的」と言われているもの・・・

残したいものはたくさんあるけど、難しいよね。
西洋をむやみに真似て、縦書きから横書きになったせいで、
日本人は自分たちの字の「崩し方」を忘れてしまって、
ご先祖様が書いたものを読めなくなってしまった。
日本語は縦に書くようにできているのに。
学ぶべきものがたくあんあるはずなのに。
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